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これまでの軌跡

今まで

ぼくは「平凡な」生活を送ってきた。

 

言われたことしかやらない。

受け身な消費者の立場。

 

関東郊外で育ち、私立の男子校の中高一貫校に通った。

 

 

塾に通って、大学受験をした。

 

両親からは、「MARCHか国公立じゃないと」と言われ続け、

その期待に応えるために受験をした。

 

結果、中央大学経済学部に行くことができた。

これは、当時の自分にとっては嬉しく、

「やればできるじゃん」という自信にも繋がった。

 

 

大学生活は楽しかった。

 

応援団にも入り、彼女もでき、充実していた。

(ちなみに応援団に入ったのは、「チアガールの彼女をつくるため」だ。

実際、それは達成できて、中高の6年間を男子校で過ごしたぼくにとって、すごい偉業だった。)

 

 

充実した大学生活。

どこか物足りない、普通の生活。

 

 

その転機になったのは、20歳の時、中国への1年間の留学だ。

 

 

きっかけは、高校の修学旅行先が上海万博。

 

それまでは中国にいいイメージがなかったけれど、

実際、現地の高校生と話してみたら、「同じ人間」だった。

もっとその人となりを知りたいと思ったのだ。

 

 

1年間の中国留学を経て、ぼくは変わった。

 

 

中国の無法地帯でやっていけたこと

 

はじめて、異国の地に放り込まれて、授業も生活も、全てを中国語でこなしたこと。

 

日本でつちかってきた、自分の常識は通用しなかった。

それでも、1年間やり通した。

 

 

日々、新しい人と会い、文化に触れた刺激。

それは純粋に楽しかった。

 

日本海を隔てて向こうにあった国。

そこではみんなが楽しそうに暮らしていた。

 

それは、ぼくが日本で感じられなかったことだ。

 

中国に行って、感じたこと。

そこにいる人たちは魅力的で、日本にはない、温かさがあった。

 

 

 

この経験は、自信となって、今のぼくのカラダに流れている。

 

 

中国にいるときに、ぼくは「日本のことを本当に知らないな」と思った。

 

 

たとえば、富士山や原爆ドーム、沖縄のことだ。

 

 

ぼくは歴史も知らず、行ったこともなく、

 

「そこに行きたいんだけど、どんな場所?」

 

という中国人学生たちの質問に答えることができなかった。

 

 

その悔しさを埋めるようにして、ぼくは帰ってから旅行にのめり込んだ。

 

富士山、広島、沖縄だけでなく、様々な場所に行った。

 

 

風がそよぐ瀬戸内の海のきらめき。

 

京都に流れる日本古来からのゆったりと流れる時間。

 

 

合掌造りを見ることができなかったのが、心残りだ。

 

 

旅に明け暮れた2年間、

貯金を全部使い果たしたモラトリム。

 

 

日本列島は神秘に満ちていて、

ぼくの心をとらえて離さなかった。

 

 

そうこうしているうちに就職活動がはじまった。

会社を選ぶときの基準は、「安定」と「海外」そして「待遇」だった。

 

 

ぼくは、「就職活動をする」ということに何も疑問を持つことがなく、

父の背中を追っていたような気がする。

(父は金融系に勤めていて、ぼくも金融系に決めた。なんとなくカッコイイ感じがしたのだ。)

 

 

 

 

1年目、札幌に配属になった。

最初の1年は必死に仕事を覚えようとした。

 

会社に入り、一生懸命仕事をすることで、

一人前になった感じがした。

 

でも、違和感が拭えなかった。

 

 

「ここに一生いたくない」

 

・・・

 

 

「時間を対価にお金をもらっている」

「接待のために自分を偽る」

 

こうしたことは、ぼくにとって苦痛だったのだ。

 

 

入社から1年半。

 

その違和感から逃れるため、

いろいろな働き方を調べた。

 

その中で、「ブロガー」という生き方を知ったのだ。

 

 

今までは、「会社員」か「農家(自営業)」以外の選択肢はなかった。

 

でも、世間には

もっと自由に

自分に嘘をつかず

生きている人がたくさんいるんだと気づいた。

 

 

ぼくはそこで初めて、

「自分の人生を自分で生きたい」という気持ちに気づいた。

 

それまでは、

ぼくは親の期待に応えようとし続けていたんだなと思う。

 

 

2018年の1月にブログをはじめたのは、

 

「そんな彼らをマネしてみよう」

 

というカンタンな気持ちからだった。

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